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千葉地方裁判所 昭和25年(ワ)214号 判決 1956年10月23日

原告

渡辺とき

被告

東京電力株式会社

主文

被告は原告に対し金九拾二万五千六百八拾三円及びこれに対する昭和二六年一月二〇日以降支払済みに至る迄年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は、仮に執行することができる。

事実

(省略)

理由

原告が亡渡辺広子の実母で、被告会社が原告主張の如き事実を含む会社であること、亡渡辺広子は昭和二五年九月二九日午前一一時頃原告主張の場所で、地上約一メートルに垂下していた被告会社所有の電灯線の架線を掴んだため感電即死したこと、右電線は千種村の漁師の組合が設置した標識灯に送電するため、被告会社所有の電柱と右標識灯用電柱との間に被告会社が架設した架空引込線であることは当事者間に争がない。

右の引込線が民法第七一七条の土地の工作物であることは論をまたないところであつて、この電線に垂みが生じ、本件事故現場付近において地上約一メートルに垂下して人の生命身体に危害を及ぼすおそれある状態にあつたことは、すなわち土地の工作物の保存にかしがあつたというべきであるから、右電線の所有者たる被告は右のかしに因つて生じた損害を賠償する義務があるといわなければならない。

被告は、「右引込線が弛緩したのは、前記標識灯用電柱が外衝によつて傾斜したためであり、この電柱は千種漁業組合の所有に属していて、その保全(修理、保存)の責任は右組合が負担すべきものであるところ、右組合はこれを怠つていた。その上右組合は右故障の事情を被告会社に何等通知をしなかつた。これ等のことは電気供給規程の定める損害賠償免責の場合にあたるから、被告会社に損害賠償義務はない」旨主張する。そして電線垂下の原因が被告主張のとおりであることは当事者間に争いがない。しかし、本件事故は直接的には電柱の傾斜に因つて生じたのではなく、垂下した電線に因つて生じたのであるから、仮に傾斜した電柱の所有者が被告主張のとおりであり、右所有者に被告主張のような保全義務及び通知義務の懈怠があつたとしても、そのために被告のかしある工作物の所有者としての損害賠償義務が免責されるものでないことは明らかである。

被告は、「亡渡辺広子が電線を自ら掴んだことは重大な過失であるから、被告会社に賠償義務はない」旨主張するが、土地の工作物の所有者の賠償義務は、被害者に自殺の場合のような故意の認められる場合は格別、その過失の有無によつては左右されないから右主張は理由がない。

そこで損害の額について考察するに、証人渡辺等の証言によれば、原告の家は漁業及び海苔養殖を営み、その収入は年平均企業が金一五〇、〇〇〇円、海苔養殖が金三〇〇、〇〇〇円であること、亡渡辺広子は普通健康体で、本件事故当時原告の長男馨とともに家業の中心的働き手であつたこと、広子の年間における勤労所得は、海苔期間四ケ月間一日金三〇〇円、農業八ケ月間一日金一五〇円を下ることはなかつたから、少くとも金七二、〇〇〇円にはなつたこと、右広子は年間収入の約半はを自己の生活費等に費消していたことなどが認められ、右認定を動かすに足る証拠はないから、その一ケ年間における純収入は少くとも、右総収入から五五パーセントを差引いた額である金三二、四〇〇円はあつたことが認められる。そして成立に争のない甲第一号証により右広子は本件事故当時の年令は満二一才であつたことが認められるところ、普通健康体の二一才の女子の平均余命数が三四年を超えることは当裁判所に顕著な事実であるから、広子は本件事故がなかつたならばその後少くとも三四年は生存できたはずであり、特別の事情のない限り、その間死亡当時と同程度に農業、海苔養殖に従事できることは経験則上明らかである。従つて右三四年間に広子の得べかりし純収益金は合計金一、一〇一、六〇〇円となり、右金額よりホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除した額である金六三三、五四三円(円位末満切捨)が亡広子の本件事故により失つた財産上の損害の現在における価格である。

被告は本件事故につき亡広子に過失があつたから損害賠償の額を定めるにつき斟酌さるべきであると主張するが、土地の工作物の所有者の責任は無過失責任である上に、被害者たる広子に法規上または社会観念上課せられた義務に違反するような重大な過失があつたことを認めるに足る証拠はないから、仮に過失があつたとしても斟酌しないのを相当とする。

そして、右広子の死亡により実母である原告が広子の遺産を全部相続したことは当事者間に争のないところであるから、原告は被告に対し前記金六三三、五四三円を請求できるのである。

更に前記渡辺啓の証言によれば、広子の葬式費用として原告が金七、一四〇円を支出したことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はないから、原告は本件事故により蒙つた損害として右金員を被告に対し請求できるのである。

また、右の証言によれば、広子の生前、同人に対する原告の情愛は深く、広子もまた母である原告に対する孝行心が厚かつたので、原告は広子の不慮の死により重大な精神的打撃を蒙つたことが認められ右認定を動かすに足る証拠はない。この原告の受けた精神的苦痛に対する慰藉料額は金三〇〇、〇〇〇円を相当とするから、原告は被告に対し右金員を請求できるのである。

被告は、「本件は昭和二五年九月三〇日原、被告間に示談契約が成立し、被告は原告に対し金一五、〇〇〇円を提供し、原告は被告に対し本件に関し一切の請求をなさないことを約した」と主張するのでこの点について考えてみるに、証人渡辺啓の証言によつて真正に成立したと認める乙第五号証(示談書)によれば、渡辺広子の死亡の翌日訴外渡辺啓が被告会社と被告主張の如き示談契約を結んだことが一応認められる。そして、証人大畑与吉の証言によれば、右乙第五号証の示談書は、同人が被告会社を代表して金一五、〇〇〇円を原告方に持参し、原告等遺族に対し示談の申入をなし、あらかじめ作成用意していつた示談書に署名を求めたところ、右渡辺啓が署名押印してできたものであることが認められる。しかし、これ等の事実によつても原告が右の示談契約を締結し、もしくは示談書作成につき渡辺啓に代理権を与えたと推断することはできない。却つて証人渡辺啓の証言によれば、同人は丁度葬式の前日であつたため、被告会社提供の金員は葬式費用と思い示談書の内容を深く検討せずに漫然これに署名押印したものであること、原告は当時全く悲歎にくれていたことなどが認められる上に、示談書作成の日が渡辺広子死亡の翌日であり、葬式の前日であつた点などを考え合せれば、原告には当時被告会社と示談契約を結ぶような精神的余裕はなかつたと推定される。その他被告の前記主張を認めるに足る証拠はない。

よつて、爾余の点について判断する迄もなく、被告は原告に対し、合計金九四〇、六八三円より既に支払つた金一五、〇〇〇円を差引いた残金九二五、六八三円及び本訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和二六年一月二〇日以降支払済みに至る迄民法所定の年五分の割合による金員を支払う義務があるものというべきであるから、原告の被告に対する本訴請求を正当として認容し、民事訴訟法第八九条、第一九六条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 高根義三郎 山崎宏八 浜田正義)

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